大会の思い出
北京五輪、柔道の谷本選手、金メダルおめでとうございます!
今回のオリンピックのメダル獲得の瞬間は、大抵仕事だなんだと
見逃していたので、リアルタイムで見れたのがすっごい嬉しかった!
そして感動しました。
…もらい泣きしそうになったやんけ…。
綺麗な一本で締めくくりましたね、あの技スゲー。
MARUも高校の時に武道の授業の選択で柔道を習いましたが、柔道は
意外に楽しかったのを覚えています。
高校生活自体は最悪で、入った2日目から入学した事を後悔したもの
ですが、それなりに楽しかった事や印象に残った事もありました。
MARUは寂しく漫研に所属してヒッソリやってたのに(友達も入ってたのに
辞めちゃって)、先生に
「進学したいなら美術部に入れ!」
と、美術方面志望でもないのに無理やり引っ張り込まれたのをよく
覚えています。
それが高校2年の時。
描く絵は、その高校の美術部の特色なのか、グラフィックデザインのみだった。
油絵とか日本画とか水彩画とか彫刻とか、他には一切無し。
高文連のデザイン部門と、九州のデザイナー展という、二つのコンペティション
のどちらかに絵を出品する事を進められた。
入部したばっかりの、ド素人のこのMARUに。
どちらに出品しようか、迷ったのですが。
MARUは結構あっさりと選択した。
高文連は、高体連のいわば文化部門で、高校の文化・美術方面の部活の
生徒達の作品が各都道府県の厳しい選抜を勝ち抜き、全国大会で展示
されるというもの。
その年の開催県は沖縄県だった。
つまり、MARUが自分のところの県で絵を出品し、上手いこと県大会で上位
に入賞すれば、全国大会に出品=大会に招待=タダで沖縄旅行に行ける、
という寸法だ。
もう一つの九州のデザイナー展は、高校生どころかプロのデザイナーの人達
も出品してくる、非常にハイレベルなコンペ。
高校生が入賞するのは難しいし、もし入賞したら大金星だ。
その割りにいい賞をとっても賞金10万円という、ちょっとシケた金額だった。
MARUは、ほぼ迷わなかった。
先生にこう返事をした。
「高文連に出品しま〜すv」
MARUは自発的にコンペに出品を決意したわけでも、作品を描くことへ意欲を
燃やしていたわけでもない。
目が眩んじゃったんですよ。
沖縄旅行ご招待に(笑)。
いやあ、だってプロのデザイナーと争うより、同じ年齢くらいの高校生と競う方が
全然可能性がありそうじゃない?
それにタダで沖縄旅行の方が、賞金10万円より魅力的に見えた。
いやまあご招待といったって、それには作品を作成して出品し、県下の数多くの
高校生達と競って、1〜3位に選ばれないとムリなので、そもそも行けると思って
無かったんですが。
可能性が大きそうな方を選んだだけに過ぎなかったんです。
そして忘れた頃に結果がきました。
沖縄旅行、当選しちゃいました!(作品が入選したって言えよ)
そもそも高文連でのコンペの規模や出品数など、ほぼ把握しないまま参加して
いたMARU。
出品数は結構あったようですが、素人のまぐれで1〜3位のどれかに入賞した
らしかったのです。
噂では1位になったと聞いたが、大会でコメントを読んでたのは他の学校の生徒
だったので、2位か3位だったのかもしれん。
そもそもその結果も、大会の委員からの連絡で知ったのではなく(それは遅かった)、
ウチの学校の先生がたまたま新聞を読んでたらMARUの名前が載ってて発覚した
とかいうアバウト極まるニュース速報。
学校の先生達は結構な賞だと騒いでいましたが、生徒サイドはMARUを含め
そもそもどんな賞なのか知らないから盛り上がりに欠けてました…。
おそらく、MARUの運気というのはあそこで使い果たした気が物凄くする。
MARUの受賞した絵というのは、初めて描いたグラフィックデザインでした。
B全というドでかい画板に紙を水張りし、筆とか使わず変わった材料で
リキテックスを使ってコツコツ仕上げていくものだった。
毎日数時間を費やし、完成まで1〜2ヶ月はかかったものだ。
構図やグラデーション、彩色の仕方など、結構先生の意見が入っているし
時には手伝ってくれた(というか着色を少しやりたかったんじゃないだろうか)。
なので、自力だけで仕上げたわけじゃないので、受賞した時にはかなり複雑
でしたが…。
…でも、まあいいや、沖縄旅行ご招待だし!
自覚はありますが、間違った趣旨のまま旅立ったのは言う間でもありません。
水着持って行ったし!
地元の人に聞いた美味しいステーキのお店に行ったし!
お土産買いにうろついたし〜!!
ちなみにいまだに不思議なのですが、高文連って何をする大会なのですか?
沖縄に行って大会関係でしたことといえば、自分のを含めて全国各地の入賞した
生徒達の作品を見ただけでしたよ?
甲子園とかのような、全国大会的なコンペは無い。
ただ、見ただけ。
それだけ。
全国の生徒が一堂に集まるということも無かった。
なんだったんだろう…
8割方遊んだ記憶しかないが…。
ちなみに、自分の県内の大会で言えば、ウチの高校はノーマークの無名高校と
いう感じだったと思う。
美術・デザインに強い専門的な高校は他にいくつもあったし、そうでなくても美術部
が盛んな高校もあったと思う。
ウチの高校はここ数年、作品を出品するようになったというくらいの位置だった。
MARUなんかはそういう高校の為、高文連かデザイン展か選べたのですが、これが
美術部が盛んな高校だったらそうは行かないだろう。
きっと部内でも激しい競争というか、誰を出品するかという選出があってるはずだ。
そういう競争をくぐりぬけて出品された強豪高相手に、よく分からないまま初めて
描いたデザイン画を出品したMARUが入賞しちゃったのです。
なので、相当まぐれで運が良かったと思ったものだ。
しかしMARUの次の年に、一つ下の後輩が描いた絵も、同じようにまた入賞した。
2年続けて無名高が選出されちゃったわけです。
これは、なんだかこっちが申し訳ないような気になったり…。
沖縄旅行目当てで出品してゴメーン!みたいな。
ちなみに開催県は一年ごとに持ち回りらしく、後輩の子は埼玉県に行ってました。
埼玉もいい所だと思うんですが。
夏に開催されたからさ…沖縄県でちょっとラッキーだったかな?と思ったり。
南国でしっかり泳いできましたからああーー!!!(アホめ)
後輩の描いた絵は至極簡単なもので、デザイン画の主題は「青春」ッぽかった。
ここで、どうやらMARUと後輩、どちらもおそらく技術を買われての入賞ではなかった
のではないかと…思った。
MARUは珍しい描き方をしていたから賞を取った、という公算がデカイし、後輩は
高校生らしい主題が入賞の決め手だったんじゃないかなと。
…ウチら、やっぱり相当運がいいんだよ…。
ハッキリ自覚した。
ちなみにその後、卒業までにデザイン画をいくつか描いて、他のコンペに出品した
けども、あとは佳作とかそういうの止まりで大した賞は取れなかった。
やはり才能はないし運は使い果たしてたようだ。
まあそんなもんだろ。
そういう佳作でも、内申書に書くのには少し役に立った位かなあ。
いやでも、まあいい思い出ですよ。
タダで沖縄旅行がな!(芸術の祭典のはずなんだが…)
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